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裁判所1




すべての司法権は、最高裁判所および法律の定めによって設置する下級裁判所に属します。

ところで、この「司法」というのは何かという問題があります。これについては、具体的な争訟 に法を適用し、解決する国家作用と言われています。こう言ってみたところで何がなんだかわかりません。

イメージとして、裁判所は紛争、つまり問題を解決してくれるところだという印象はあると思います。

でも、裁判所は、紛争を解決するところだといっても、すべての紛争を解決できるわけでは ありません。解決できないことだってあるわけです。

例えば、アインシュタインの特殊相対性理論が本当に正しいのか裁判で決めてくれって言われた としても、難しいですよね。裁判官だって、特殊相対性理論をきちんと理解しているかどうか、 わからないですしね。
また、ドラえもんに出てくるのび太とジャイアンは実は仲がいいのかどうか決めてくれって言われても、 難しいです。そういうことは藤子不二雄に聞いてくれって言われそうです。

このように、なんでもかんでも解決できるわけではないのです。


では、何が裁判所が解決できるものかと言うと、「法律上の争訟」と言われるものです。これは何かと言えば、

具体的な権利義務ないし法律関係についての紛争であること
法を解釈適用することによって解決すること

これらの二つを満たす必要があるのです。

ここで気をつけないといけない点があります。

まず、「具体的」な紛争であることが必要です。つまり、何も事件が起こっていないのに、 抽象的に争いを起こしてもダメだということです。

例えば、ある法律が出来上がったとします。その法律によって何らの不利益を被ってもいないし、 そもそも関わりも持っていないというような場合に、その法律が憲法違反だとして裁判所に訴える ような場合です。このようなことは出来ないというわけです。

次に、法を解釈適用して解決できなければなりません。先ほどお話した、アインシュタインや ドラえもんの話などは、法を解釈適用して解決できるものではありません。ですから、裁判所 に解決を求めることが出来ないのです。

この点につき、重要な判例があります。板まんだら事件判決です。

板まんだら事件判決
最判昭56.4.7
「本件訴訟は、具体的な権利義務ないし法律関係に関する紛争の形式をとっており、その結果、 信仰の対象の価値又は宗教上の教義に関する判断は請求の当否を決するについての前提問題で あるにとどまるものとされてはいるが、本件訴訟の帰趨を左右する必要不可欠のものと認められ、 ・・・結局本件訴訟は、その実質において法令の適用による終局的な解決の不可能なものであって、 ・・・法律上の争訟にあたらない」

誤解を恐れず、簡単に事件の概要をお話します。

元創価学会の会員であった原告が、創価学会に対して寄付金の返還を求めた事件です。その返還 を求めた理由は、そもそも寄付金募集は本尊「板まんだら」を安置するためであったが、「板まんだら」 は本尊としては偽物だということです。つまり、本物だと思って寄付したのに実は偽物だ、寄付は錯誤 だから返還せよと、こういうわけです。

それに対する判決が上記のものです。

「金銭の返還」は権利義務に関する紛争の形式です。でも、「偽物かどうか」は宗教上の問題であり、 前提問題ではあるけれども、その点がこの訴訟の帰趨を左右する必要不可欠のものです。
ですから、結局において、法令の適用による終局的な解決は不可能です。

この判例は、このように言っているのです。

この判例は難しいです。難しいですが、重要です。重要というのは、よく出題されているということです。 覚えておいたほうがいいですよ。


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